2024-10-24 [介護]
2024-10-25
母がなんかやる気になっている状態
○○薬局に行った。帰ってきて「手伝ってちょうだい」と言った。
買ってきたものをテーブルまで運ぶのが疲れるらしい。
母は筍を煮た。
夕食はコロッケにした。
夕食の後 1時間ほど経った頃 いつもはやらないのに母が洗い物をする音
なんとサラダ油を全部捨ててしまった。
「水だと思ったから洗った」と言う
まあ 鍋の火をつけっぱなしよりは良いが 本当に全く。。。
2024-10-24
訪看さんがきた。(髪の毛を結んでいる人)
「お薬のこと大丈夫ですか」と言われたが 私ははぐらかした。
帰る間際に
「やはり 土曜日だと娘さんも出かけたいですよね」と言ってきたので
「私が一番問題だと思ったのは2週間放っておかれたことです」と言った。
「曜日が変わるのでまたお電話しますね。カレンダーには書いていないので」と訪看さんが言った。
お薬カレンダーの緑色に塗ってあることを褒めていた
「いつからですか?」と言っていたので ここ1ヶ月 こちらにきていない人なのか
まあ2週間に一回だから そのくらいにはなるかな 5人くらいで交代で来ていると言うし
看護師さんが母にお風呂は一人で入れるのですか?と聞いた。
あの転んで もう一人でお風呂に入れないと言っていたのを知っているのだ。
しかし 母はお風呂で転んだことも忘れている。今日 それがよくわかった。
2022-11-03
そう言えば母は弁松のお弁当が好きだった。
歌舞伎座のところにお店があった。
そのお店はコロナの初期に店を閉じたのだ。
母は魚は好きではないけれど、弁松の西京漬の魚は好きだった。
ふと思いついて検索してみると、普通にデパートに弁松があった。
そのうち 買おうと思う
2020-11-01
日曜日 15時 キッチンに行くと
ガスが弱火でついている。母は平気でテレビを見ている。
流しには 茶碗と小皿と箸
「ガスがついているじゃない」と私が指摘すると
「私は昨日の玉子を食べたからガスは使っていない」と母
「あんたがやったんじゃないの」と言う母
弱火でついて、鍋もフライパンも乗っていない。
これが○○症というやつだ。
そして他人のせい。
私は 自分に言う。
ストレスなんて感じていないと
火事になったわけではないのだからと
年寄りには弱火が見えていないのか
KはKで 父親がオープントースターの掃除をしないので
トースターが火を吹いた( ̄□ ̄;)!!と言っていた。
2020-10-26
月曜日 16時すぎ 母がデイに電話している
「しばらくおやすみしようと思います」と
向こうが「ケアマネさんには言ったのか」と言ったのか
「ケアマネさんにも言ったけれど、とにかく明日は休みます」と言っている。
私は自分に言うのだ。
ストレスをためてはいけない。
ここで 怒鳴ってもダメだ!と
2020-10-13にだけ デイに行ったのは何なのか
ドクターはしばらくこないし
いや、私がどうこういうことてはないのだ。
もう、家族の責任と思うから腹がたつので
子供が独立した存在であるように、老人も独立した存在なのだ。
夕食も平気で 「何食べればいいの?」などと言う
ポテトサラダに文句を言う
「こんな同じものばかりじゃ嫌だ」と母
それを聞いて 私はキレた。
「ホームに行って作ってもらえばいいでしょ」
母「あんたが私の部屋に男を連れ込むからでしょ」
私「ありえないし」
母「もう自分で買いにいくからいい」
私「また転ぶでしょ」
母「私なんて転んでしんじゃえばいいんでしょ」
私「転ぶだけでしなないから」
はい 優しくなれない私ですよ。
母の母は足が悪かった。
私の末路もきっとこんなふう
2020-08-13
火曜日 母はデイに行った。お昼は冷凍ちゃんぽんを食べた。
熱中症に塩分がよいというから。
水曜日 わたしは頭痛 日射病かもしれない、看護師さんが来たが私は会わなかった。
体重を計るとみごとに痩せていた。
木曜日 ドクターが来た。やはり15時45分くらい。
母がデイにいっていることを話す。薬が次回までに足りないことを話す。
母の指が変なことを話す。
少し歩いたほうがよいと思い、暗くなってから買い物に行った。
先延ばしにしていたカタログギフトの申し込みをした。
母 2015年に始まった
母が精神科にかかるのを拒むため 薬を使うこともできなかった。
2018年 地域包括センターに繋がり 精神科の入院させた
入院中に 骨折2回 退院後 老健に半年入り その後 在宅介護
にほんブログ村
母がなんかやる気になっている状態
○○薬局に行った。帰ってきて「手伝ってちょうだい」と言った。
買ってきたものをテーブルまで運ぶのが疲れるらしい。
母は筍を煮た。
夕食はコロッケにした。
夕食の後 1時間ほど経った頃 いつもはやらないのに母が洗い物をする音
なんとサラダ油を全部捨ててしまった。
「水だと思ったから洗った」と言う
まあ 鍋の火をつけっぱなしよりは良いが 本当に全く。。。
2024-10-24
訪看さんがきた。(髪の毛を結んでいる人)
「お薬のこと大丈夫ですか」と言われたが 私ははぐらかした。
帰る間際に
「やはり 土曜日だと娘さんも出かけたいですよね」と言ってきたので
「私が一番問題だと思ったのは2週間放っておかれたことです」と言った。
「曜日が変わるのでまたお電話しますね。カレンダーには書いていないので」と訪看さんが言った。
お薬カレンダーの緑色に塗ってあることを褒めていた
「いつからですか?」と言っていたので ここ1ヶ月 こちらにきていない人なのか
まあ2週間に一回だから そのくらいにはなるかな 5人くらいで交代で来ていると言うし
看護師さんが母にお風呂は一人で入れるのですか?と聞いた。
あの転んで もう一人でお風呂に入れないと言っていたのを知っているのだ。
しかし 母はお風呂で転んだことも忘れている。今日 それがよくわかった。
2022-11-03
そう言えば母は弁松のお弁当が好きだった。
歌舞伎座のところにお店があった。
そのお店はコロナの初期に店を閉じたのだ。
母は魚は好きではないけれど、弁松の西京漬の魚は好きだった。
ふと思いついて検索してみると、普通にデパートに弁松があった。
そのうち 買おうと思う
2020-11-01
日曜日 15時 キッチンに行くと
ガスが弱火でついている。母は平気でテレビを見ている。
流しには 茶碗と小皿と箸
「ガスがついているじゃない」と私が指摘すると
「私は昨日の玉子を食べたからガスは使っていない」と母
「あんたがやったんじゃないの」と言う母
弱火でついて、鍋もフライパンも乗っていない。
これが○○症というやつだ。
そして他人のせい。
私は 自分に言う。
ストレスなんて感じていないと
火事になったわけではないのだからと
年寄りには弱火が見えていないのか
KはKで 父親がオープントースターの掃除をしないので
トースターが火を吹いた( ̄□ ̄;)!!と言っていた。
2020-10-26
月曜日 16時すぎ 母がデイに電話している
「しばらくおやすみしようと思います」と
向こうが「ケアマネさんには言ったのか」と言ったのか
「ケアマネさんにも言ったけれど、とにかく明日は休みます」と言っている。
私は自分に言うのだ。
ストレスをためてはいけない。
ここで 怒鳴ってもダメだ!と
2020-10-13にだけ デイに行ったのは何なのか
ドクターはしばらくこないし
いや、私がどうこういうことてはないのだ。
もう、家族の責任と思うから腹がたつので
子供が独立した存在であるように、老人も独立した存在なのだ。
夕食も平気で 「何食べればいいの?」などと言う
ポテトサラダに文句を言う
「こんな同じものばかりじゃ嫌だ」と母
それを聞いて 私はキレた。
「ホームに行って作ってもらえばいいでしょ」
母「あんたが私の部屋に男を連れ込むからでしょ」
私「ありえないし」
母「もう自分で買いにいくからいい」
私「また転ぶでしょ」
母「私なんて転んでしんじゃえばいいんでしょ」
私「転ぶだけでしなないから」
はい 優しくなれない私ですよ。
母の母は足が悪かった。
私の末路もきっとこんなふう
2020-08-13
火曜日 母はデイに行った。お昼は冷凍ちゃんぽんを食べた。
熱中症に塩分がよいというから。
水曜日 わたしは頭痛 日射病かもしれない、看護師さんが来たが私は会わなかった。
体重を計るとみごとに痩せていた。
木曜日 ドクターが来た。やはり15時45分くらい。
母がデイにいっていることを話す。薬が次回までに足りないことを話す。
母の指が変なことを話す。
少し歩いたほうがよいと思い、暗くなってから買い物に行った。
先延ばしにしていたカタログギフトの申し込みをした。
母 2015年に始まった
母が精神科にかかるのを拒むため 薬を使うこともできなかった。
2018年 地域包括センターに繋がり 精神科の入院させた
入院中に 骨折2回 退院後 老健に半年入り その後 在宅介護
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